祝辞


よみがえらせたい想い出や名言•祝辞

5.祝辞


大東文化大学青桐会創設50周年 おめでとうございます。

大東文化大学同窓会会長 
田中重太郎
 
 日ごろから同窓会の活動に対しましてご理解とご協力を賜り、心より感謝申し上げます。
 東日本大震災により被害に遭われた皆様に同窓会一同、心よりお見舞い申し上げます。
 大東文化大学の前身である大東文化協会は、1923年(大正12年)国会の決議によって創設されました。このことは、東洋の文化を基礎として西洋の文化を吸収し、東西文化を融合して新しい文化の創造を図ろうとする有識者の提案によるものです。ひたすら西洋化にむかう日本を憂い、自国の文化やアジアの文化を知り、ゆるぎないアイデンティティに基づいて西洋文化の良さを吸収していこうとする、まさに現代の国際社会の規範ともなる考え方です。この活動はすでに創立当時からはじまっていました。大東文化大学は、東西文化の融合のあり方を説いたこの理念を、建学の精神としています。
 さて、本学の卒業生は10万人を超えました。同窓会は、板橋キャンパスに本部を置き、北は北海道から南は沖縄まで全国に53支部を設け、次のような活動をしております。
 卒業生(正会員)・在校生(準会員)の親睦や諸活動への支援をはじめ、同窓会独自での後輩の就職に関する情報提供、同窓会各支部への本学に関する情報提供、新入生歓迎会・六月祭・大東祭・駅伝等・文化部及び体育部への援助・同窓会報の発行等盛り沢山の事業を行っております。
 これらの事業に係る運営は、会員皆様より納入される会費によって賄われております。
 どうか皆様、同窓会の大変な現状をお察し頂きまして、会費を納入してくださいますようお願い申し上げます。
 日ごろから同窓会の活動に対しましてご理解とご協力を賜り、心より感謝申し上げます。
 東日本大震災により被害に遭われた皆様に同窓会一同、心よりお見舞い申し上げます。
 大東文化大学の前身である大東文化協会は、1923年(大正12年)国会の決議によって創設されました。このことは、東洋の文化を基礎として西洋の文化を吸収し、東西文化を融合して新しい文化の創造を図ろうとする有識者の提案によるものです。ひたすら西洋化にむかう日本を憂い、自国の文化やアジアの文化を知り、ゆるぎないアイデンティティに基づいて西洋文化の良さを吸収していこうとする、まさに現代の国際社会の規範ともなる考え方です。この活動はすでに創立当時からはじまっていました。大東文化大学は、東西文化の融合のあり方を説いたこの理念を、建学の精神としています。
 さて、本学の卒業生は10万人を超えました。同窓会は、板橋キャンパスに本部を置き、北は北海道から南は沖縄まで全国に53支部を設け、次のような活動をしております。
 卒業生(正会員)・在校生(準会員)の親睦や諸活動への支援をはじめ、同窓会独自での後輩の就職に関する情報提供、同窓会各支部への本学に関する情報提供、新入生歓迎会・六月祭・大東祭・駅伝等・文化部及び体育部への援助・同窓会報の発行等盛り沢山の事業を行っております。
 これらの事業に係る運営は、会員皆様より納入される会費によって賄われております。
 どうか皆様、同窓会の大変な現状をお察し頂きまして、会費を納入してくださいますようお願い申し上げます。

 

『45周年50周年の双方に携わってみて』

大東文化大学青桐OB会副会長、青桐会創設50周年記念実行副委員長  
中島 洋二
 
 平成18年に創設45周年事業に携わり、次は大きな区切りの50周年だから大変だねと言って、できるかぎりの資料を残し引き継ごうと思っていたのに、またもや50周年にも駆り出されるとは・・・
  45周年のときも、40周年を開催した第22代青桐会会長の時枝良治氏をはじめ、歴代の会長・副会長に教えを乞い手助けをしていただきました。しかし次の50周年を楽しみにしていた時枝氏が平成21年12月突然お亡くなりになり、まことに残念でなりません。
 また50周年の準備委員会で助言されていた第18代青桐会会長の小林信治氏(青桐OB会会長)も、昨年の8月にお亡くなりになり、今年の青桐OB会30周年と青桐会50周年を共に盛大にお祝いしようとおっしゃっていたのに、無念だったと思います。
 両氏に心から哀悼の意を表します。
 次の大きな区切りは100周年です。50周年が終わった瞬間に100周年へ向けての歩みが始まっています。この青桐会(旧父兄会)に携わった多くの先輩たちに敬意を表し、また今後のますますの発展を祈願します。そしてなんとか長生きをして100周年にも立ち会いたいものです。

 


お祝いのことば

2008年度青桐会福島県支部支部長・2009年度青桐会監事  
國分 優子
 
 大東文化大学青桐会創設50周年、まことにおめでとうございます。心から、お祝いを申し上げます。
 娘の麻美が入学した年に、第1回キャンパス見学会に参加したのがご縁でした。この見学会は今でこそ、青桐会東北ブロックの行事として定着した感がありますが、立ち上げに関わったOBの皆様のご苦労とご尽力は、並々ならぬものだったとご推察致します。又、受け止めてくださった大学関係者各位の皆様、本部役員の皆々様に、心から感謝申し上げます。その後、支部長、東北ブロック長、本部役員の監事と丸々4年間、青桐会の仲間に支えられ学ばせて頂きました。
 東北は、東日本大震災からの復興と再生の途中であります。特に、福島は子供達の健康と安全のため除染が本格的に始まろうとしております。この巡り合わせを、勇気と希望に変えて、青桐会のご発展を願い、これからも学生や保護者と共に歩まれ、歴史を刻まれることをお祈りし、お祝いの言葉といたします。

 

『雑感』

2008~2011年度 兵庫県支部支部長  
神戸 美鈴

 青桐会創設50周年を祝し、心よりお慶び申しあげます。半世紀にわたり、継続、発展を遂げられましたのは、歴代役員様の身を尽くしての功績の賜と深く感謝申しあげます。
 さて、私は文学部日本文学科で学びましたOGです。そして、長男は健康科学科の一期生、次男は文学部中国学科を今春卒業し、入れ替わりに、長女が日本文学科に入学いたしております。
 思い起こせば、30数年前、私の両親も青桐会(父兄会)の会員だったのだと思うと、改めて歴史の重みを感じます。
 縁あって、長男が3回生の年から兵庫県支部長を務めさせて頂き、代を越えて、今度は親の立場から大東に寄り添える喜びに満ちております。さまざまな青桐会活動を通じて、新たな出逢いがあります。支部総会にお出向き下さる大学の先生方、職員の皆様を始め、年2回の支部長会では47都道府県の支部長にまみえ、駅伝応援では声を限りに声援を送る同志として、貴重な体験、有意義なひとときを共にする繋がりは、心地良いものです。
 今、多数の大学がひしめく兵庫の地から大東への進学者は、私の時代と比べると、3分の1、4分の1に減少しているのが実情です。少子化、厳しい世相が要因とはいえ、一抹の寂しさを感じます。
 大東は、教育の三本柱「知育」「徳育」「体育」が安定し、特に「徳育」は、大東校風の礎と根づき、現在も芽吹いていると確信しています。
 古からの伝統を引き継ぐ書道、ライトグリーンの大東カラーをテレビに映す駅伝、ラグビーを始めとする、大東ブランドの名声をより高め、関西地区の支部が再び賑やかになる日を楽しみにしています。
 末筆ながら、青桐会の益々のご発展とご繁栄をお祈り申しあげます。
 蛇足ですが、私は愛犬の散歩に、青桐会のジャンパーを着用しています。「歩く広告塔」です。皆さんもいかがですか?

 


無限の広がり青桐会

2009~2010年度青桐会宮城県支部支部長  
阿部 宜一

 4年前の東松山校舎見学会に参加し、支部役員を頼まれて、2年目には支部長になり、どっぷりと青桐会に浸かってしまいました。木村前支部長にだまされたと思った時には手遅れでした。1年の時、支部長会議に代理で出席して以来4年の支部長会議まで、6回
板橋校舎に行き、その間、議長を2回経験しました。また、東北ブロック会議も何度も参加し、他県の総会にも出席し参考にさせていただきました。
 大学関係者、本部役員、支部長、青桐会会員、OBの皆様と、いろんな方々にお会いする機会があり大変プラスになりました。そして懇親を深めることができました。全国では、役員がなかなか決まらず困っている支部もあると思いますが、困難は大きいほど、達成した時の喜びが大きいものです。がんばりましょう。
 宮城県も毎年10月に、青桐会OBの集まりがあります。徐々に人数も増えております。青桐会と言うだけで一つにまとまり、いろんな広がりや、つながりがありました。とてもすばらしいことだと感じます。これからも、皆様と末長くお付き合いをしていきたいとおもいます。 

 

青桐会青森県支部長になって

2010~2011年度青森県支部支部長 
松澤聡

 平成22年7月25日に青森県支部長を引き受けることになりました。きっかけは校舎見学会に参加したことでした。学生さんが、ユーモアあふれる語り口調で熱心に説明をしてくれる姿に感動し、その後の懇親会でも他の保護者の方といろいろな話も出来て、楽しい一時を過ごさせていただきました。その後定期総会に出席して役員になり、支部長を引き受けた次第です。正直なところ、私自身最初は青桐会とはどのような組織なのかも分かりませんでした。まさか大学に保護者の会が有るとは全く想像していなかったので、50年もの長きにわたり父兄会として活動してきたことは、先代の方々の並々ならぬ熱意の賜物だと思います。
 運動部の応援の際には、青桐会のジャンパーを着ていると、何処からともなく「私も大東大のOBです」と言われ、応援の輪が広がり一体感が生まれ、スクールカラーでもあるライトグリーンの偉大さを実感しました。また、父兄会時代のジャンパーを着て応援している方々もいて、たいへん歴史が有るものだとつくづく感じました。
 1年があっという間に過ぎ、2年目になり役員スタッフも整い、大人数での話し合いも出来るようになりました。今後は支部の予算の中で行事等を考え、保護者間でつながりを深めながら、楽しめる支部活動をしていきたいと考えています。
 大東文化大学青桐会創設50周年の節目の時に、青森県支部長を任されたことを光栄に思います。この会を通じてたくさんの人と出会い、活動を共にできたことへの感謝と、東北ブロックではOB会の立ち上げも有り、今後も携わっていきたいと思っています。
 最後になりますが、大東文化大学及び青桐会が今後も発展していくことを祈念いたします。

 


『大学』って

2011年度 北海道支部支部長  
石井 眞一
 
 私は娘たちに人生をよく語る。学生時代どんな将来を描いていたか、どんな夢を持っていたか、それがどうなったか。どんな挫折をし、どのように乗り越えたか。自分の経験上伝える事が出来る事は出来る限り伝えて行きたいと思っている。でも自分の学生時代には、パソコン(インターネット)、携帯電話も無かった。それらがこんなに一般化し普及するとは思ってもいなかった。もしかしたら、存在自体も意識していなかったかもしれない。
 私は娘たちに幼い頃から一番大事なのは「命」「安全」「健康」と言ってきた。おかげで最近でも一緒にマラソン大会に出たりする。健康には育ってくれたように思う。
 次の時代がどんな時代になるのか。どんな価値観が大事にされる世の中になって行くのか。そんな将来を見通すヒントを与えてくれるのが大学だと思う。一番大事なのは何がやりたいかという事だとは思う。しかし、それを実現するためには客観的に世の中をみる目が必要とされると思う。自分たちがそうだったように20年後、30年後の世の中を見通すのはほとんど不可能だとは思う。どれだけそれに近付けるか、変化に敏感に対応出来るか、そういう能力を身に着けるのが大学だと思う。
 小学校1年生から通信簿にはいつも心身ともに健康に育っていってほしいと書いて来た。心の成長の一歩先を行くのが世の中を見通せる目ではないだろうか。大学はそれを手助けする存在であってほしいし、あるべきだと思う。全国各地からそれぞれ異なった環境で育った同世代の学生が切磋琢磨し、次の世代の価値観を創造していってほしいと思う。
 一方、揺るぎ無い信念も醸成していってほしい。私は原発にずうっと不安を持っていたが世の中の流れの中に流され容認しつつあったように思う。揺るぎ無い信念を確立するのも大学だと思う。
 文系総合大学として、次代を担う人材を育成する事に前進してもらいたい。そんな大学を支える青桐会でありたい。あってほしい。

 

『これからの大学に期待すること』

2011年度宮崎県支部支部長  
玉利 勇二
 
 青桐会創設50周年を迎え心からお慶びを申し上げます。半世紀に渡り、諸先輩の方々が築き上げ、引き継いでこられたことに深く感謝申し上げます。
 さて、50周年を迎えるにあたり、こらからの大学ということで4つのテーマを進言させていただきます。
 大学を取り巻く環境です。いろいろな動きが出ています。大きくは3つあると思われます。第一は、大学のユニバーサル化が進んでいるということです。その中で、どういう形で大学を考えていくのかという問題、もちろん質の保障の問題、世の中で今とりざたされている学生の学力や学ぶ意欲をどう高めていくかという問題もあります。社会や学生の多様なニーズに対応して、大学のあり方をどう考えていくかです。第二は、大学のグローバル化の問題です。その中で大学の力を強め、大学が持つ人材育成機能をどう高めていくのか、世界各国、特に先進国やアジアの国々それぞれが国・大学間で交流しグローバル化が進み、人あるいは学生・先生方の行き来が国境を越えて進んでいく中で、大学のあり方を国際的に考えていくことが非常に大きな課題となっています。第三は、これからの少子・高齢化、人口減少が進んでいる中で大学がどう考えていくのかという問題です。その中で大学の役割を確認し、どう大学として考えていくのかという問題があります。第四は中長期的な大学の教育のあり方の問題です。ユニバーサル化、グローバル化、人口減少を踏まえた大学の将来的なあり方をどう考えていくのかということがこれから大事になってきます。これからの大東文化大学を考えていく上において、上記のことを念頭に、連携・共同・ネットワークが重要です。今後、大学・学生・保護者・青桐会等のネットワークをさらに強固なものとし、大東文化大学が老舗的なパイオニアとして取り組んでいくことをこれからも大きく期待しています。

 

 






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