2.大学教職員


よみがえらせたい想い出や名言•祝辞

2.大学教職員

本学父兄会に期待する

学務局長 間瀬正次(20周年記念誌から一部引用)
 大東文化大学の父兄会は、わが国の大学においてユニークな存在である。私立大学のなかには同じような組織を持っているところもたくさんあるが、全国のほとんどの都道府県に支部を結成し、毎夏支部総会を開催して、大学と家庭とが協力し学生の学業と生活について情報を交換して、彼等の将来の福祉の向上を図っている大学は、あまりないと言ってよい。
 ただ父兄会という名称が旧民法的でやや古めかしく、戦後はPTAまたは父母会になっている。現に支部総会への出席者は母親が多く、その意見や要望を重んずる点から言っても、将来一考すべき問題であろう。とにかく大学が大衆化し、現代の青年のモラトリアム(社会人となる猶予期間)が延長し、精神的乳離れ(大人への独立)が遅れている時に、こうした組織は必要である。


わが大東の誇り

文学部長 小笠原英三郎(20周年記念誌から一部引用)
 長い歴史と伝統のなかで、「わが大東の誇り」うるものはいろいろとあると思いますが、私は、 (1)法人と大学、経営と研究・教育、理事会と教授会とが、車の両輪のように、それぞれ独自の立場と役割を尊重しあいながら、共通の目標をめざして相互に連携協力していく態勢が出来上がってきたこと、 (2)小人数教育の施策と態勢を一貫して実現してきたこと、 の2点は、今後の本学の”正しい発展”の根幹にかかわるものとして、また学生諸君が大学生活の名に値する充実した4年間を過すためにも、ますます大事にし、みんなの力で育てあげてゆかねばならないと考えています。


大東精神と国際交流

国際部長 田口昌長(20周年記念誌から一部引用)
 本学の案内書では「わが国精神文化の基幹をなす東洋の思想・文化を研究し、これを出発点として東西の文化を融合した新たな文化の創造を理想として設立された大東文化学院を母胎としている。(略)その使命は知識に溺れず、道義を重んじ、身体を頑強に、日本人としての自覚を堅持するとともに常に世界的視野に立ち、国際社会に活躍して人類文化の向上に貢献し得る人材の育成にあたる」と建学の精神が述べられています。この中での「わが国精神文化の基幹をなす東洋の思想」とは儒教のことであると言ってもよいのではないでしようか。儒教は孔子・孟子らが立てた人生訓、処世訓で人間一般の精神生活の規範であり、道徳上の教義であります。そして、精神生活の規範を自ら律するところに大東精神は在るのだと私は思っています。これを国際社会に役立てて行く人材を育ててゆくことが大東文化大学に課せられた使命であり、本学の国際交流もこれ等の事を考えないで語ることが出来ません。物質主義がはびこり精神文化が後方に追いやられている今こそ、大東精神を発揮すべきではないでしょうか。


父兄会創設30周年に寄せて

国際部長 市田良穂(30周年記念誌から一部引用)
 国際化とか国際協調の時代といわれる今日、留学生は国際人の素養を十分に身につけられるような環境をもっていなければなりません。将来を担う人たちが国際感覚を持っているかどうかは今後の日本社会の世論の形成にもかかわりがあり、国際社会に及ぼす影響を考慮すれば、それは単なる国の利益だけの問題ではありません。
 これからの日本人は、国際社会で尊敬されるような資質を十分に備えていなくてはならないわけです。そのためには、若いうちから自然のうちに多くの外国人に接する必要があります。外国人と緊密な人間関係ができれば、相互理解も芽生えてきます。従ってすべての学生にとって外国人留学生の受け入れは大切であり、そのこと自体、文化交流の実践となります。アメリカの大学では十数年前から、外国人留学生の受け入れについて、彼らに学んでもらうこと以上に、自国の学生たちが彼らから学びとることの方がはるかに重要だ、という認識に立っています。そういう視点に立つからこそ、アメリカは外国人の帰国留学生たちのおかげで彼らの国との摩擦を和らげ、相互理解を促進できるようになったと聞いています。


父兄会創設30周年に寄せて

就職部長 近藤作治(30周年記念誌から一部引用)
 最近企業の採用担当者の口からよく出る言葉(一時期は遠慮していたと思われる。)に「人材」があります。これは明らかに「手間」から「人材」へと公募内容を絞ってきたことにあると思われ「人物重視」だけでなくプラス成績その他従来大目に見てこられた「知・徳・体」が総合的に兼ね備わった学生を要求してきていると判断せざるを得ません。「人材」の発掘・確保に全力を注いでいるゆえんだと思われます。奉職者は企業活動を円滑に進めるための歯車の一つであるため運命共同体である意識を自覚しなければならない。したがって一口で言えば協調性、独創性、行動力、企画力、指導力等を身につけていなければならないと思います。それを成就するためにはゼミナール等による専門分野の研究のみでは不十分で奉仕(社会)活動等に参加しクラブ・サークルに所属し授業では学び得ないものを体験を通して学び取ることが大切であり重要なことは自己研鑽であると思います。
 個性化、国際化、情報化、多様化がさけばれていますが他学部の聴講をし自分なりの問題意識を解き明かそうとするような積極的な態度が必要であり学際的な勉強をすべきと思います。更に現代は政治、経済、文化、技術が複雑に絡み合って動くようになっているので各分野をバランスをもった目で見れるような人間になるよう努力すべきと思います。


学生時代の「自分探し」と「自分づくり」

文学部長 須藤敏昭(35周年記念誌から一部引用)
 時代は変わり社会は変わったが、現代の学生諸君も、多くの友と出会い深い交わりをもちたいと強く願っていることを感じる。たしかに、軽く浅いつき合いで済ませる風潮もなくはないが、それは現象面であり、また、マスコミ等で増幅されて伝えられる「若者像」だと思う。私の学生時代よりもはるかに複雑で、悩みの多い現代社会である。青年が浅いつき合いだけで満たされるはずがない。他者と深く分かり合い、その中で自分らしさを築きたいという思いはいっそう痛切であるともいえよう。「オウム」のような現象は、そうした思いが裏目に出たものに他ならないが、安易に「同族」で固まらず、さまざまな人間と交わり、「自分探し」「自分づくり」を試みて欲しい。
 さいわい、本学には、日本の各地から多様な背景をもって学生たちが集まってくる。男女のバランスもほどよい。学生諸君には、ゼミやサークルなどで、思いきって自分を表現し、広く深く仲間と交わり、かけがいのない「友」と「自分」をつくって欲しいと念じている。


講義とコンパ

国際関係学部長 服部匡延(35周年記念誌から一部引用)
 このたびその35周年を記念するに際して、父兄会事務局より何か随想を書けとの御用命がございました。そこでいろいろ思案のすえ決めたことが標題に掲げた「講義とコンパ」という、出来損いのようなものであります。父兄(保護者)の多くの方がたは、つね日頃、御自分のお子さんが一体学校で教師とどんな付き合い方をしているのか、多少の関心と興味をお持ちであろうと拝察するからであります。
 そもそも学校では教師と学生の付き合いは、単に密閉された教室という密閉された空間のなかでおこなわれる、講義という一方通行的な付き合いだけではありません。それは上下方向の垂直かつ公式な付き合いであって、左右方向の水平かつ多分に私的なものがなければ、教師と学生とはいえ要するに人間同志の立体的な付き合いにはならないようです。この後者の、私的空間と時間における自由な付き合い(もちろん「親しき仲にも礼儀あり」)が、ソバ屋の2階でもいいしヤキ鳥屋のカウンターでもいいのですが「コンパ」だと考えています。
 本日はわたくしと、わたくしの講義を聞き、かつわたくしの研究室に集ってくる学生たちとの交流を御紹介したいと思います。
 わたくしの担当科目の1つに「アジア芸術論」なるものがあり、そこでは特に日本・中国の芸術に関するアレコレを教授しているわけですが、某日「茶湯は総合芸術である」というはなしの中で、豊臣秀吉と千利休の茶湯に触れてこう語ります。
 「秀吉と利休とのアツレキというものはですネー、結局のところ利休の切腹で幕となるわけですネ。その原因というのがです、利休が、自分の娘(これがまた飛びっきりの美形というンですがネ)、その娘を秀吉が側室に所望したのを拒絶したからトカ、大徳寺山門の楼上に利休の肖像彫刻を置いたからトカいってるんですがネ、それはマアいわば口実であってですネー、本当のところは、ほかのひともいっていることだけど、利休の天才に対する秀吉のコンプレックスが爆発したということでしょうナ。とにかく2人の茶湯の性格に焦点を絞っていえば、秀吉のは男性原理、利休のは女性原理ということができると思います。なにか質問やら意見があったらいって下さい。」ここで終業のチャイムが鳴ります。質問や意見は特にありません。
 その後しばらくした或る日、女子学生のひとりが研究室に顔を覗かせています。「先生、じつは×日の×時から××屋でコンパしたいんですけどオ、御都合いかがですかア。」わたくしは仔細らしく手帳など繰りながら、「アア、ちょうどなにも予定ないヤ、参加しますヨ。」「ところで会費なんですけどオ、どの位がいいですかア。」「なん人集まるんですか。」「約10人です。」わたしは腹の中で「これは1万円カンパせずばなるまいな。」などと思いながら「それはそちらで決めて下さい。あまりおカネは使わないように・・・・・・」
 当日は××屋の座敷に、みななに事もなく集合し、型どおり幹事の前置き、わたくしの挨拶があってビールまたはジュースで「ガンベイ(乾盃)」。しばらくはお互いにモジモジしたりヒソヒソはなしをしたりしている中に肩の力がほぐれるとはなし声も活発になってきます。わたくしはアッチへ行ってビールを注いだり、コッチへ行ってジュースを注いだり、ホストよろしく活動します。そうこうする中に勉強熱心な、またもや女子学生が、やや離れたところから、「先生、先生はこのあいだの授業で、利休と秀吉の茶湯のことを女性原理と男性原理といって(ここは「おっしゃって」とかなんといってほしいところ)ましたヨネ。あれ、どういうことなんですかア。」わたくしはグッと一口ビールを飲んで、「それはですネエ、利休の茶は侘び茶、茶室は四畳半以下の、いまのわれからすればゼイタクの極致のようなものなんだけど、当時は簡素を主体化したような草庵茶室というもんです。その思想的背景には仏教思想とくに禅思想があるわけだけど、それはそれとしてですネエ、その茶室の内部はというと、明り窓は軒を深くしたり、北側につけたり、小さくしたりして採光量をすくなくする。当然内部は薄明りというか薄暗いというか。その出入口はといえば、頭からもぐるようにしなければ入れない約二尺四方ぐらいの大きさしかないニジリグチ(躙り口)でしょ。中に座ったらどんな空間だと感じますかネエ。閉ざされた狭い空間、ボンヤリとした明るさ、花一輪、軸一本といった虚飾を排した内周、小さい出入口、これだけ揃えば、これは母親の胎内だと、僕は思いますけどネ、どんなもんでしょう。これはなにも、ぼくがいっていることではなくて、すでに安西二郎という先生がいっていることなんで、くわしくはそれを読んでみて下さいナ。秀吉のはその反対ってわけ。」講義でのはなしはコンパでこのように展開するというわけです。「ところで先生、先生は奥さんとどんな風にして結婚することになったんですカ。」わたしはその質問に誠実に答えますが、(略)


私学にきて驚いたこと、やり甲斐があると思ったこと

法学部長 田中浩(35周年記念誌から一部引用)
 私が私学にきて国立とひじょうに異なる点であると思ったのは、限界があるが、教職員が予算編成にタッチできる、ということである。(略)すべてが認められるわけではないが、真に良い発案であれば予算が認められるケースがある。努力すれば成果が返ってくる点ではやり甲斐があるのである。
この点こそ、私学の最大のメリットであると私は思っている。(略)
 大東大生の最大のメリットは、ひじょうに明るい気持ちの良い学生が多いということである。私は、こういう学生が好きである。かれらは社会にでてきっとだれからも信頼され、ひとかどの立派な仕事をする人たちである、と私は確信している。私たちは、大東の学生諸君が、「ああ大東にきて良かった」と思うような付合い方をかれらとできれば、と今後とも努力を続ける所存である。


外国語学部の教育改革でしたいこと

外国語学部長 窪田富男(35周年記念誌から一部引用)
 学部教育の改革にあってもっとも基本的な問題で、コンセンサスを得なければならないことが残されています。外国語学部の基本的な性格は、リベラル・アーツ型を指向するのか、プロフェッショナル型を指向するのかということです。前者は、学生が個々の関心に応じて将来あらゆる方向に向かってその能力を開花させていくための基礎的な知識・教養を身につけさせることを主眼にするものですし、後者は、簡単にいえば卒業後すぐ職業に役立つような知識・技能の教育に主眼をおくものです。後者の実用性にとらわれると専門学校的性格のものになりかねません。前者は深く究めることが難しいというマイナス面があります。現在のような「大衆化された大学」でこの性格づけはたいへん難しいことですが、これからのカリキュラムの在り方にも専門分野からみた教員の構成の在り方にも直接影響することです。つまり、(略)改革の内容を質的に左右します。


“感動”を父兄会とともに

体育センター所長(前陸上競技部監督) 青葉昌幸(40周年記念誌から一部引用)
 それぞれの順位に沢山の思い出が一杯ありますが、いちばんの思い出はやはり昭和50年(51回大会)の初優勝である。出場8年目で5区間の区間1位、往路優勝(大会新)。復路優勝。総合大会新記録で完全優勝でした。今でもキャプテン竹内君がゴールにとび込んだ雄姿は私の脳裏にはっきり焼き付いております。


大東ラグビー

ラグビー部監督 鏡保幸(40周年記念誌から一部引用)
 86年度には島田治主将(伊勢丹)率いる雑草軍団が超満員の国立競技場において準決勝VS明大、決勝VS早大に快勝し初優勝の瞬間87年1月10日午後3時30分国立競技場大型スクリーンに写し出されたスコア12対10の感動はいつまでも心に刻まれているとともに大東ラグビーの礎となりました。(略)
 この大会で最も印象に残ったプレイは決勝VS早大前半25分シナリ・ラトウ(三洋電機)、飯島均(三洋電機)を中心としたフォワードが得意のモールプレイで早大フォワードを押し込みながら出したボールがスクラムハーフ須藤明(リコー)からスタンドオフ青木忍(リコー)にパスされ青木が早大スタンドオフ森田博志をカットインで抜き去り早大フルバック香取鉄平を十分引きつけセンター船田義雄(NEC)にラストパスを送り船田がゴールポスト直下にトライしたプレイである。このプレイは常にイメージし繰り返し練習していたプレイであり、最高の場面でイメージ通りのプレイが自然と発揮出来た選手達の真摯な姿勢に感動した。黒沢誠(東芝)のゴールキックも決まり9対6と逆転した場面である。
 試合経過は前半39分早大栗原誠治のトライで9対10早大にリードされ前半終了。後半11分黒沢のペナルティゴール成功により12対10と逆転し残り29分間早大の猛攻を守り抜き歓喜の初優勝を獲得いたしました。
 88年度日下唯志主将組(NEC)は準決勝VS同大に完勝し決勝VS明大は昭和天皇崩御に伴い4日間日程をずらし89年1月11日キックオフ13対13の同点で2回目の優勝を獲得した。尚、日本選手権大会には規定により大東が出場し神戸製鋼と対戦17対46で敗れた。
 96年度中村航主将組(三洋電機)は準決勝VS早大に完勝し決勝VS明大にも快勝し3回目の優勝を獲得した。


「若者ことば」についての考察

国際関係学部長 押川典昭(2004夏ARCHから全文引用)
 担当科目のひとつに「比較文化論」というのがある。国際文化学科1年生の必修科目で、アジアの文化を学ぶことのおもしろさや文化を比較する視点、異文化コミュニケーションの方法などについて、さまざまな事例をあげながら講義している。サッカーW杯の文化論的分析から食文化、日本人のアジア観、イスラム報道のされ方まで、テーマは多岐にわたるが、毎年かならずやっているのが「若者ことば」についての考察である。
 若者ことばをとりあげるのは、自分の息子よりも年下の学生たちが仲間うちで使うことばを材料にして、とっつきにくい言語学という学問への興味を少しでも学生にもってほしいとの意図からである。彼らが仲間うちで隠語として使うことばはよく分からないので、ともに勉強することでそれを知りたいという思いもある。
 ところで、ことばといえば、「若者たちの日本語の乱れ」という嘆きの声がかならず聞こえてくる。「乱れ」論の背景にあるのは、社会秩序は共通の言語表現をもつことで維持されており、日本語のルールからの逸脱は社会の秩序と倫理の乱れにつながる、という考えである。だらしないことばを使う者は生活もだらしない、というわけだ。ことばの乱れを云々するのは大人たちの常らしく、『徒然草』も「ただ言うことばも、くちをしうこそなりもてゆくなれ」と嘆いている。
 わたくし自身は、ことばの使用者という点では保守派を任じているが、言語学的立場からいえば、ことばは「乱れる」のではなく、「揺れる」のだと考えている。だから、学生たちと同じ目線でことばについて考え、若者のことばを柔軟に理解したいと思っている。しかしその一方で、初対面の学生に「先生。わたしって早起きが苦手じゃないですか」などとタメ口をきかれると、「だから、どうなの」と言い返したくなる。「おいおい、もうちょっと口のきき方には気をつけようぜ」。毎日がそんなことのくり返しである。


正解はどこ?

法学部法律学科主任 石山文彦(2005冬ARCHから全文引用)
 最近、授業中に学生からよく、「それで結局、答は何なのですか?」と質問されます。正解を教えてもらえないと不安なようです。しかし、実社会で出会うのは、「正解」の分からない問題ばかりです。学生たちには、この不安感をぜひ克服してほしいと思っています。
 高校までは、問題にあらかじめ正解があり、それを「当てる」ことが目標でした。答が分からなければ、教えてもらえました。しかし実社会で必要なのは、九官鳥のように正解を復唱する能力ではなく、教えてもらわなくても自分で答を出せる能力です。例えて言えば、分かれ道でどちらに進むべきかを、標識がなくても判断できる能力です。標識のない分かれ道でうずくまっていても、目的地には着きません。どちらかの道を進んでみるしかありません。しかも、その道をほんの一歩ではなく、かなり進んでみてはじめて、その道で正しかったかどうかが判断できます。道を間違えていたと分かったら、そこから引き返すのです。「勝利の方程式」はどこにもありません。自分で答を出すというのは、このように「とりあえず」「しっかり」やってみることの繰り返しです。
 自分にふさわしい将来の進路を見つけ出すのも、実はこのようなプロセスです。進路について正解をもらおうと待っていても、だれも教えてはくれません。私たち教員は、学生たちが「とりあえず」「しっかり」やってみようとするのを応援しています。


卒業生からの贈り物

経営学部経営学科主任 井上照幸(2005冬ARCHから全文引用)
 今日、2つの贈り物が届いた。「黒酢ドリンク」と「新米」である。
 私のところへは業者や在校生からの贈り物はない。即座に倍返しするからである。
 そのかわり、卒業生が就職後に送ってくれる品物はありがたく頂戴する。先の「黒酢」は勤務先自慢の新製品であり、お米は秋田で公務員をするゼミ生の兼業の成果である。昨年は塩害で苦しんだが今年は豊作、との一筆が添えられている。早速、大学の現況などを詳細にしたためた礼状を送ることにしよう。ときどき新刊の自著も贈るが反応はいまひとつで、手紙のほうが遥かに評判がいい。
 卒業生からの相談事は多い。恋愛問題よりは、勤務先のこと(転職の可否、職場の人間関係など)が中心である。小生に限らず、経営学科の教員の多くは企業経営や人間関係論等の理論的・実践的知識を修得しているから、積極的傾聴法と見識をフル活用して有益なアドバイスができる場合もある。
 経営学科の研究室では、夜更けまで学生の個別指導をする教員の姿が目につく。ときとして教育熱心な教員は”鬼”に見えるかもしれない。しかし、卒業後に”仏”であることに気がついてくれれば、これに過ぎる喜びはない。
 それこそが、卒業生からの真の「贈り物」である。


「留学生にも青桐会の手を」

副学長 渡部茂(45周年記念誌から一部引用)
 東西文化の融合を建学の理念とする大東文化大学が広く海外から留学してくる学生に対して寛容な心でその勉学・研究意欲を最大限に引き出してあげることは、至極当然のことでありますが、同時にその実現には多大な困難が予想され、多くの大学関係者の協力が必要となります。海外生活を経験された方ならば誰でも感じられることだとは思いますが、言葉も習慣も違う異国での生活にとりまして大切なのは心のよりどころであります。身近に甘えることのできる保護者のいない留学生たちにとって必要なのは、何よりも保護者の集まりである青桐会の限りない愛情ではないかと思われます。
 大東文化大学で学ぶ留学生は大学院生を含めて700名以上にもなり、大学にとりまししてさまざまな意味で大きな役割を担っておりますが、同時に今後の大学の新たな挑戦に向けましてその重要性はますます高まることが予想されます。青桐会海外支部の設置、青桐会留学生基金の創設、ホームステイ制度、青桐会主催のエクスカーションや日本語スピーチコンテスト、等々、留学生に対して青桐会でなくしては果たしえない役割は数多くあります。改めて、「留学生にも青桐会の手を」差し伸べていただけたらと思います。


あえて「二兎を追う」ことに挑戦! 

法学部長 五味俊樹(2007夏ARCHから全文引用)
 現在、私どもは、二つの重い課題に取り組むことが求められております。第一には、いわゆる「ゆとり教育」が皮肉にも生み出してしまった「学力低下問題」への対応であります。第二には、「大競争時代」といわれる今日の世界にあって、「即戦力」となる人材育成への対応であります。
 第一の課題は、大東文化大学や法学部だけの特殊事情では決してなく、日本のほとんどの大学が抱える共通の悩みであります。だからといって、それを放置することは許されず、また、黙認すれば大学教育そのものが空回りしかねません。法律学や政治学を学ぶうえで論理的思考や抽象化能力はきわめて重要になりますが、多くの大学生は残念ながら、それを十分に備えているとは言い難いのが現状です。そこで法学部では、「文章表現法」といった科目を設け、課題の克服に努めております。
 第二の課題も、欧米の大学と比較した場合、かなりの遅れをとっている深刻なテーマであります。日本の大学、とりわけ文科系の学部は、伝統的に実務教育を軽視する傾向にあったことは否定できません。むしろ、思索型の教育に重きを置いてきました。したがって、卒業後に必要となる実践的ノウ・ハウは、それぞれの就職先で身に付けるのが慣わしでありました。ところが、今日、経済活動のテンポがあまりにも速く、従来の牧歌的方式では通用しなくなってしまったように思われます。法学部ではそうした時代の要請に応じようと、実務・実践型の教育にも力を注いでおります。特に、IT時代を踏まえて、情報教育には積極的に取り組んでまいりました。
 しかし、大学が物事の是非を度外視して、近視眼的教育に終始することは厳に慎むべきでありましょう。”普遍・真理の探究”という大学本来の使命を失ってはならないはずです。大学の存在理由は森羅万象の中から原理的本質を見出すことにあると確信しております。
 その意味で、私どもは、あえて「二兎を追う」ことに果敢に挑戦しようと考えております。


現場で学ぶ環境創造教育

環境創造学部長 土井幸平(2007夏ARCHから一部引用)
 環境創造学部は、社会科学的なアプローチで環境問題に取り組む日本で最初の学部として、2001年にスタートしました。1期生~3期生500名が社会に船出し、4期生~7期生700名が在学中です。「環境って理系じゃないの?」という方のために少し説明が必要でしょう。
 たしかに、CO2の排出を軽減する車をつくるには理系の知識が必要ですが、車を必要以上に使わない「経済システム」「社会システム」「経営システム」を考えることもまた重要ですね。つまり、「環境問題を解決する」という視点から、経済・法律・経営など社会科学に関する知識を総合的に学び、問題解決の糸口を見つけます。もちろん、環境問題の基礎として、生態学・環境科学・都市計画などの理系科目も学びます。環境問題の解決を考えた時、その答えは一つの学問から生まれるものではなく、社会科学と自然科学の連携が必要です。また、教室で考えるだけでは具体的な解決策は見えません。現場でのフィールドワークを重視し、現場を通じてさまざまな人達とコミュニケーションを深めること、これが環境創造流の問題解決法です。卒業後社会の現場で実践的・主体的に問題解決にあたることができる人材の養成をめざしています。このため、カリキュラム(教育課程)に社会の現場を学ぶ科目を多く取り入れています。


経営学部への期待に応えて

経営学部長 鈴木一道(2008夏ARCHから一部引用)
 経営学部の最大の特徴といえば、1年生から4年生までゼミナールを開設し、少人数の学生が教員と膝を交えて丁寧な大学教育を受けることができることです。ゼミナールにおける学生同士あるいは学生と教員との対話や作業を通して、大人の思考を身につけ、自己の思考を他人に伝え、そして他人の主張を理解し、評価する能力を高めることができます。大東文化大学は、昔から「友人を作りやすい大学」として定評がありますが、その鍵はこのゼミナールの充実にあると思っています。
 経営学部の教員は、学生の皆さんが実社会で活躍してゆくために必要な力を培う手助けをいたします。


企業やビジネスを学び実践能力を鍛える

経営学部長 岡田良徳(2009夏ARCHから一部引用)
 受験生の経営学部に対する期待・評価は非常に高く、毎年、併設高や留学生や推薦指定校などからの問い合わせには学部教員を増員して対応しております。どこの大学でも一般ビジネス教育に対する期待は高いのですが、1年生から4年生までゼミナールを開設し、少人数の学生が教員の指導の下で基本的な経営学の基礎から高度な専門教育までを資料収集から報告・発表を通じて徹底的に討論・評価することにしております。
 大東文化大学は「就職偏差値の高い大学」「学生が生き生きして通学する大学」「友人の作りやすい大学」などといわれております。これは、ゼミナールも一定の役割を果たしているのではないかと考えます。「先生と学生の対話が多い大学」といわれるようわれわれ学部教員も努力したいと思います。


初年次教育の取り組み

副学長 押川典昭(2010夏ARCHから一部引用)
 いま東松山で力を入れているのが、「初年次教育」と呼ばれているものです。初年次教育とは、高校を卒業したての1年生が大学生活に適応し、4年間の学習がスムーズに進むように工夫された総合的な教育プログラムのことです。その中味は、学習にかかわるものとして、・レポートや論文の書き方 ・図書館や情報関連施設の利用方法 ・プレゼンテーションの方法 ・コミュニケーション能力の向上 ・高校までの教科の復習 ・専門教育への橋渡しとなる知識の習得など。学生生活にかかわるものとして、・時間管理や学習習慣の確立 ・肉体的・精神的な健康の維持 ・受講態度や礼儀、マナーの涵養 ・社会の構成員としての自覚、責任感、倫理観の養成など、が挙げられます。(略) 
 この4月から始めた「東松山キャンパス朝ごはんプロジェクト」も、広い意味での初年次教育の一環です。勉学の基礎になるのは健康な心身ですが、学生諸君の現状をみると、かならずしもそれが維持されているとはいえません。とくに、朝食抜きで授業に臨んでいる学生が少なくない。「腹が減っては戦ができぬ」というように、これでは授業を受けても集中力が維持できないでしょう。
 朝ごはんプロジェクトは、生協食堂と提携して、低価格でバランスのとれた朝食を提供し、規則正しい食生活を送る習慣をつけてもらおうというものです。月曜から土曜の毎朝、8時10分から9時半まで、定価300円の朝食を、大学が100円補助することで、200円で提供しています。
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国際交流の現状と改革

副学長 山﨑俊次(2011夏ARCHから一部引用)
 価値観の変化、政治経済の世界的情勢の変化に即応して、学生の間で海外留学といった国際交流の概念が大きく変化してきた。日本の経済成長に呼応して、学生達が世界へ飛び出して行って欧米の新しい知識を学び将来の発展に寄与したいという気概が、近年安定的な経済成長になると同時にその勢いを失い急激に変化して来た事に少なからぬ失望を覚えている。換言すれば、大学が支援する海外留学という国際感覚を涵養する最高の機会を競って得ようとしていた学生気質が、自ら進んで海外の大学で苦労することの意義を失い、モラトリアムを享受しそれに甘んじるといった変革をしていることを大いに憂慮している。
 海外留学を、派遣留学、受入留学という枠組みで考えた場合、長年日本の大学から欧米、特にアメリカ、イギリスへの「輸出超過」であったという現象が、現在は逆転して特にアジア圏からの「輸入超過」といった傾向になっている。(略)
 そのような現状を鑑みて、大学では国際交流の改革・改善を推進していくために関係機関・委員会で早急に検討に入るのが喫緊の課題である。まず派遣留学の促進を推し進めるために特に英語圏留学について、協定校の拡充、短期・長期留学の期間と内容の充実を進めて行く必要がある。英語圏、アジア圏いずれも単位の互換制度の確立を図り、例えばダブルディグリー制度を確立することで、派遣留学のみならず受入留学の拡充と整備が可能になる。今後より一層大学は、国際感覚を持った大東文化大学生の育成に惜しみない努力をすることが肝要と感じている。


厳しい時代を生き抜く知恵と精神

副学長 今城光英(2011夏ARCHから一部引用)
 本年3月に卒業した卒業生諸君は、リーマン・シヨック以降2年以上続いた不景気の中で、厳しい就職戦線を体験しました。しかし、その結果は、学生諸君の努力が奏功し、大学生の就職決定率全国平均はもとより、一昨年度の本学卒業生の就職実績をも上回って善戦しました。彼ら彼女らの並々ならぬ努力に敬意を表し称えたいと思います。ただ、就活期間の長期化は避けられず、10月以降に内定を得た学生も少なくありませんでした。
 就職は今年度も厳しい状況が続いています。アジア諸国の成長が続き、米国経済が持ち直し、国内で震災復興需要が発生するという期待がある一方で、欧州諸国の財政破錠、国内では復興を妨げる放射能の影響など、不確定な要素があります。景気回復への期待の中で、日本の産業構造が質的に変わりつつあります。ご父母・保護者の方々が経験したかつての就職事情は、質量両面ともすっかり様変わりしています。日本が欧米並みに成熟社会になったといっていいと思います。もちろん萎縮しているばかりではなく、新しい成長分野もあります。
 今後は、従前にも増して就職先の開拓に注力したいと考えています。私は、4月より副学長・キャリアセンター所長という立場にあり、積極的に企業に出向き挨拶回りを始めています。青桐会の皆さん方のご要望があれば、できるだけご意向に沿うよう調整しますので、どうぞご意見をお寄せください。学生諸君には、激動の時代を乗り越えることができる柔軟でしかもしっかりした考え方を持って、少々のことにはへこたれない強靭な精神を身につけてほしいと思います。在学中は、視野を広げること、人付き合いを通じて協調性と指導力を磨くこと、勉学や社会体験を通じて自分に自信をつけることを期待します。保護者の皆様におかれましては、大所高所から時代の変化を見据えたご支援を期待しています。


「自由な時間」の大切さについて

学務局長 古川陽二(2011夏ARCHから一部引用)
 自由な時間、じっくり考える時間を持てることの大切さ。これは誰にとっても同じでしょうが、とくに大学生にそのことを意識してもらいたいと思います。
 大震災の影響で授業開始が5月となった最初のゼミの時間に、ゼミに何を期待するか、卒業後の進路をどう考えているか、学生に問いかけました。答えの多くは、まだ進路は決まっていない、私のゼミを選んだのは、将来、役に立ちそうだからというものでした。そうした答えは想定内のものでしたが、私は、次のようにゼミ生に訴えました。ゼミは学問を究めるところであって、将来、役に立つかどうかが目標ではない。世の中で起こっている様々な問題について、どのような解決策が法の目的に照らして妥当なのかを論理的に突き詰めて欲しい、皆さんにはそのための時間がたくさんある、学んだことを役立てることができるかどうかは皆さん方次第である、と。
 昨今の就職戦線は、本当に厳しいものがあります。大学におけるキャリア形成・就職支援が叫ばれるのも当然です。そのことを承知した上でなお、私としては、学生が自由な時間のなかで学問に没頭し、もがき苦しみ、討論を闘わせることを通じて自らを高めていくことの大切さを伝えたいと思っています。自由を謳歌できる時代は、もう二度とないはずですから。


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