4.青桐会(父兄会)会員


よみがえらせたい想い出や名言•祝辞

4.青桐会(父兄会)会員

活動の現況

昭和61年度宮城県支部支部長 菊地実(25周年記念誌から一部引用)
 聖書の一頁に「新しいぶどう酒は新しい革袋に」という言葉がありますが、次代を担う学生諸君が今恵まれたキャンパス(革袋)で育まれ、将来かぐわしい芳香を放つ人間性豊かな若者として新しい旅立ちが出来るよう、期待し、そのめあてに向かって父兄各位が共々に知恵と力と心を寄せ合って成す業は、誠に有意義であり、今後更に充実発展されることを希うものであります。


支部活動の現況

平成2年度広島県支部支部長 和泉雅夫(30周年記念誌から一部引用) 
 穂積学長をして言わしめたのが「大学に父兄会が存在する奇異」と、しかしこの良い意味での保守性が建学の精神に合致するものと言っても過言ではございますまい。
 儒教を中心とするその建学の精神的源流は、昭和30年初期の学生運動をもクリヤをし、今や大河を成さんとしております。その過程の中で「師」や「親」が子供に教えうる事柄は幾多とあります。それが幼児期を経て青年期に至ろうと些かも変るものではありません。それは「知徳」のみでなく「人徳」に迄及ぶからです。
 知友語句の「三字経」曰く-- 養不教、父之過、教不巌、師之惰。(子供を養うのみで教育を行わないのは親の過ちであり、また生徒に厳しい教育を施さないのは、教師の怠慢である)とそれには先づ「親」たる父兄が大東文化大学なるものの存在を精神的に理解をし惚れる事から始めなければなりませんし、子供の気持ちを安定ならしめる為にもこの事が一番肝要な事と思います。そこに父兄会の存在意義が在ります。


支部活動の現況

平成3年度佐賀県支部支部長 鍋島紘一(30周年記念誌から一部引用) 
 郷土の七賢人の一人である大木喬任(たかとう)卿の第三子である大木遠吉伯が、大東文化大学の創設者であることは大学関係の間で意外に知られていない。また郷土の人も知る人は少ない。大東文化大学はその前身の大東文化学院が大正12年9月24日、国立として創設され、その後、東京文教大学に改称、終戦とともに閉鎖24年に私立、大東文化大学として再開をした。大木遠吉は大正12年2月大東亜を興す目的の団体の大東亜文化協会を設立、この会頭となった。父の大木喬任と大隈重信は従兄弟の間柄で、父が亡きのちは大隈を親代わりとして慕い育った。大隈が早稲田大学を創立していたのに刺激され、政府にたいし大東亜文化協会が主体となり、大東文化学院の創設に奔走、これが奏功して大正12年9月、大東文化学院が「国立」として発足した。大木は同学院の生みの親であったものの、生まれた学院は国立であったため、長い年月の間に大木の事績は大学関係者の間でも忘れ去らせた。これが大隈と早稲田大学の関係と違う点である。と地元の新聞、夕刊「新佐賀」(昭和59年)にある。
 大木公園内には、喬任の記念碑に並んで建てられた遠吉の記念碑がある。台座を入れて高さ6メートルもある立派な碑である。


支部活動の現況

平成3年度東京都支部支部長 澤吉松(30周年記念誌から一部引用) 
 一昨年より大東大学留学生との交歓交流会を本部、埼玉、神奈川、千葉各支部、国際学部のご参加を頂き、遠く故国を離れた留学生、日本のお父さんお母さんと共に国際交流を盛大に深めております。


父兄会との4年間

平成7年度副会長 近藤弘美(35周年記念誌から一部引用)
---- 活動の源---- 「本学学生の偏差値は、入学時には差が有るが、卒業時には一流と言われる大学と、肩を並べている」との説明を聞き、少しでも学生や大学の応援が出来るならと、4年間やってきました。
---- 楽しみと苦しみ ----「大東文化大学」と聞いて、皆様は何をイメージしますか。多くの方々は、ラグビー、駅伝に代表される、「スポーツ大東」だと思います。私も4年間、大きな声を出して応援しました。他に野球、アイスホッケー、相撲等々、間近かでの応援は、選手と一心同体となり、感動を共に分かち合える大きな大きな楽しみでした。(略)
 さて、苦しみはと考え、「なし」と書きながら役員会、各種行事と毎週連続の時は女房孝行をしつつの参加となるのが苦しみと言える位でした。


4年間のこだわり

平成12年度副会長 川崎正信(40周年記念誌から一部引用)
 私は子供の卒業式に参列しその喜びを共に共有したいと思いたち式場に向かいました。「え!なぜ、どうしてなの!」とびっくりしました。そうです国旗掲揚が無かったのです。私は全国14,000人の1人、本部役員11名の1人として今迄知り得なかったのが大変恥ずかしく申し訳なく思いました。(略)
 大正12年より昭和63年迄65年間、国旗掲揚有、平成元年より今年まで13年間、国旗掲揚無、大東文化大学の建学時よりの歴史を省みて「どうしてなのですか?」と素直に問いたいものです。


ニヘーデービル(ありがとう)青桐会

平成16年度沖縄県支部支部長 當山安弘(45周年記念誌から一部引用)
 4年の歳月も早いもので今年娘も卒業しましたが、振り返ってみると入学から卒業まで親の私もずいぶん勉強したような気がします。
 入学式に参加するため上京した時、あまりの人の多さに驚かされたものです。
 又支部長会へ出席するために一人で上京した時、モノレールの切符の買い方がわからずおろおろした事も今ではいい思い出です。
 大東祭で、沖縄県人会の活動に感激し、またその時の活動を写真とビデオを撮り支部総会の時に紹介したところ、沖縄から大学に行くことのできない父母から大変喜ばれました。振り返ると私も青桐会と関わることで学ぶことが沢山あり貴重な体験をさせていただきました。

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