1.歴代の学長及び学園理事長


よみがえらせたい想い出や名言•祝辞

1.歴代の学長及び学園理事長

創設20周年に際し父兄会に感謝を捧ぐ

第5代学園理事長 金子昇(20周年記念誌から一部引用)
 父兄会設置の話が登場しましたのは昭和34年頃であったと記憶している。その主旨は、戦後の創痍未だ癒えず、深刻な経済不安と思想混乱の中に青年学生は方向を失し、過激的行動に身を投じて自己の不満を解消するか、又は酒色に耽溺して憂を晴らすかという、誠に憂慮すべき状態にあった為、学校側として父兄会を設置し、学校側と家庭の交流、親子の対話を計ると共に、一方では極度に経営困難に陥った財政の一部を援助して頂こうというものであった。
 当時、大学は池袋に在り、1,500坪の狭い校地の中に老朽化した2階建木造の校舎があり、学生数は400名足らず、施設設備も皆無に近く、財政は窮乏して教職員の月給も滞ることが多く。正にどん底の景況であった。私が尾張真之介理事長の要請により学校に入ったのはその前年であったが、その頃は更にひどく、土屋学長、佐成謙太郎、水木惣太郎理事の間では大学を身売する相談が行われ、磯谷老夫人が悲嘆の余り号泣するという一幕もあった位である。さらに人事を巡って紛争が絶えず、恐らく大東史上最も悲惨な時代であったと思う。
 このことを憂慮した卒業生の有志、知友関係者は連日連夜、学校に集まり、文字通り必至の努力を続けた。結局、昭和36年4月、北海道出身の南條徳男代議士が理事長に就任、翌7月、岸信介氏を中心とした後援会が結成され、広く政財界より建設資金の協力を求めることになり、漸く経営も軌道に乗った。


父兄会創設15周年を祝して

第5代学長 池田末利(15周年記念誌から一部引用)
 教育は建物でなく内容であることを痛感します。新制大学の発足によって、旧制の象牙の塔式大学が開かれた大学になったことは結構でありますが、大学は就職券発売所ではありません。学問の創造的発展に寄与し、人類文化の向上に貢献するのでなければ、大学の価値はありません。そして、何よりも大切なことは、かうした目的を達成する意味からも、大学は理性的・合理的存在でなければならぬといふことで、そこには些かの不正も一点の不義も許されません。私立大学といっても、それが公共性を担ふ存在である以上、その社会的責任に於いて国・公立大学と差別はありません。さればこそ、国民の血税による国庫から、十分とはいへないまでも多額の補助金を敢て出してゐるのであります。


理事長に就任して

第6代学園理事長 時枝満康(15周年記念誌から一部引用)
 大東文化協会は大正12年に当時の貴衆両院の建議にもとづき設立されました。
 その頃我が国の情報について次のように伝わっています。明治以来、急激な欧米文化の移入で我が国の思想経済界は一大変革を招来し、遂に伝統の美風は失われ道義の頽廃を来すに至ったと、そこで憂国の士がたち上がり、両院の決議で国庫の補助がきまり大東文化学院の開設を見るに至った。その教学の目標とするところは、儒教の振興を図り、国民道義の昂揚、東洋の思想文化を研究し、東西文化を融合して、世界文化に貢献する。私はこの建学の精神を今日に生かし特徴有る、大東の教育を確立したいと思っています。
 私学の経営は財政と教育が調和のとれたものでなければなりません。この意味で、理事長と学長の責任はまことに重大であります。私は今後、学長と緊密に連繋を保ち乍ら、各々の責任分野を明確にし、学園内部のすべての人が一致協力して、本学教育目標に邁進するようもって行きたいと思っています。
 皆様の大切な子弟をお預かりしている当事者として、その附託の任にたえる立派な学園造りをしなければならぬと考えています。大学は研究と教育の場でありますが、常にその質的向上を目指して努力しなければなりません。


大東文化学園の経営に当って

第7代学園理事長(第6代父兄会会長) 鈴木則幸(20周年記念誌から一部引用)
 私学の経営は財政と教育、研究の調和がとれたものでなければなりません。今後も学長をはじめ関係者と常に緊密な連繋を保ち対話を深め、各々の責任の分野を明確にし、学園内部のすべての人が、同一指向で一致協力して教育研究経営の効果を高めることが出来る態勢づくりに努力して参りたいと存じます。特色と魅力があり、学び易く力のつく学園への進めは、大切な子弟をあずかる教育機関として重要な責任の一つであると思います。今具体的に取り組んでおります長期事業計画(教育研究の環境整備)も実は、このための方策の一つであります。教育研究の質的向上を目指して更に努力を続けたいと思います。
 組織は人によって動かされ機能するものであります。充分な組織の機能効果を期待するには、それを司る人の和が大切であります。
 私どもは綱紀を常に厳正し、公私、正邪の区分を明確にして公平適正な人事に力め刷新を図り度いと存じます。



祝辞

第9代学園理事長(初代父兄会監事) 下田博一(25周年記念誌祝辞p49から一部引用)
 35年、36年と池袋から板橋に移ってくる段階では4千万円であったのが百億を超す収支計算が行えるような法人になってきました。この数字を見るだけでもたいへんなものだと感じます。


学生・保護者と「学びの共同体」づくりに取り組んで

第12代学長 須藤敏昭(45周年記念誌から一部引用)
 学長職というのは、ある意味で孤独な立場であるといえるかもしれません。しかし私の場合は、青桐会の皆さんにも励まされ支えられて、ひどい孤独感に陥るということはありませんでした。
 学生の声や保護者の要望に丁寧に耳を傾けながら大学を運営し、改革・改善に努めれば、大きく間違えることはない、という確信のもとに事に当たってきました。学長在職中、「学びの共同体」としての大学づくりをと唱えてきた背景の一つは、そこにありました。•••


青桐会創立45周年への祝辞

第13代学長 和田守(45周年記念誌から一部引用)
 思い起こしますと、青桐会の前身である父兄会が設立されました1961(昭和36)年は、本学が池袋から現在地の板橋に移転した年にあたります。
(略)総合大学へと大きく飛躍する、いわば起点としての1961年に父兄会が設立されたのであります。このことは本学の発展にとりまして青桐会はかけがえのない支援・協力組織であったことを意味しています。 
 現在におきましても、青桐会の活動は本学の貴重な支えであります。私どもはかねがね大学教育は、学生とその保護者、そして教職員の円滑な協力関係をとおして発展するものと確信しております。特に本学では青桐会会員の皆様のご支援ご協力が強固であることを誇りとしております。保護者の皆さまの参加と共同体制の広がりこそが、厳しい競争環境の元で、本学の個性と特色を伸ばし、高等教育機関としての大学の社会的貢献の基礎ともなっております。



学園理事長の大東文化大学への想い

第15代学園理事長 國岡昭夫(2006冬ARCHから全文引用)
 私立学校は単数または複数の創設者によって設立されているのが一般的である。そこには例外なく建学の精神が謳われ、それに基づき教育の理念が存在し、国公立に無い多様な個性と特色がある学校が生まれている。
 わが大東大は私学である。しかしその誕生は他と異にしている。(大正10年、1921年)「漢学振興に関する建議案」が国会で可決され、これを具現化するために大東文化学園の前身である大東文化協会に大東文化学院が開設された。
 これから言えることは、大東文化学園は個人的意図から設立されたのではなく、国の意向を実現するために国家的事業の一つとして、東西文化を融合して新しい文化の創造を図ろうとする、現在の国際化社会にも活かされる趣旨で生まれた大学である。
 したがって、大東大は特に国家の重責を負っている。誇りを持って期待に応えなければならない。
 厳しい教育環境の中で、学生を4年間でどのように育てていくか、学生が満足できる状況にあるか。それには外部に誇れる教育を行うことに尽きる。その満足度の判断は、学生自身が「入った大学で力がついた」と自覚できるか、「自分の出た大学に子供を入れたい」と思うかである。大東大がそうあって欲しい。



100周年に向けて新たな飛躍を

第14代学長 渡部茂(2010夏ARCHから一部引用)
 大学をめぐる環境はますますその厳しさを増しており、近年、未曽有の景気後退ともあいまって定員割れする大学も50%になろうとしております。幸いにも本学の場合、大学関係者の危機感の共有や協力、および積極果敢な入試広報戦略などもあって、受験生が大幅に増え、入学者も昨年をかなり上回るという状況でありました。また、地方で、在学生に目を転じても、経済的環境の厳しさにもかかわらず、退学者数がかなり減少し、キャンパスライフの楽しさや満足度の向上を裏付ける数字となっております。
 大東文化大学の建学の精神である「東西文化の融合」、並びにその現代的読み替えである「多文化共生を目指す新しい価値の不断の創造」には、常に国際的な視野に立ち、多様な文化を認め、理解し、受け容れるという「寛容と進化の精神」が脈々と流れております。学生の皆さんにはこのいわば「時代の精神」をそのDNAに受け継いでいるのだという自覚と誇りをもって、何事にも積極的にチャレンジしていただきたいと思います。




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